San Francisco Diary #4

わたしたちはほんとうにちっぽけな存在で、銀河のなかの恒星のように密集しあって日々を生きている。

わたしやあなたが出会うことは星たちが巡り会う奇跡よりはたやすいが、

何というか、出会いとはとてつもない偶然性がもたらした閃光のような一瞬の出来事なのだ。

旅をするたびにいつもそんなことを考える。

たとえばマークとの出会いがそうだ。

マークとはサンフランシスコで一番危険なテンダーロイン地区で出会った。

ポスト・ストリートにある『Kayo Books』を目指してミッションからバスに乗り、ヘイト・ストリートに辿り着く。

注射針や人糞が散乱していて、目の虚ろなジャンキーやヤクの売人がブロック毎に立っているヘイト・ストリートは旅のガイドブックには近づくなと警告されているエリアだ。

その通りをおっかなびっくり歩いていると右手に小洒落たヴィンテージ・ショップが見えてきた。

このエリアに似つかわしいその店のドアを開けると、店主のマークが待っていてぼくににっこりと微笑みかけてくれた。

日本から来たと言うと、つい最近まで日本にいて東京と沖縄の友人のところを訪ねていたらしい。

“トーキョーはとにかくクール。オキナワはチルアウトするには最高の場所だね”

沖縄ののんびりとしたムードに完全に魅了されたようだ。

サンフランシスコには何しに来たんだ?というからぼくは日本で本屋をやっていて、本の買い付けに来たのだと答えると友人が個人で本のディーラーをやっているから、今から紹介してくれると言う。

ビールを飲みながら店内の古着をひと通り物色したあと、店を一旦閉め、マークの友人の住むアパートへ。

通りをマークとふたりで歩く。

どうしてこんな危険な場所で店をやっているのか?と聞くと

“だってここがホームタウンだから。

友だちも食べ物も、カルチャーも。

ローカルから生まれるものは最高だろ?”

と言ってマークはにっこりと笑った。

ふと後ろを振り返ると、日が翳り荒れ果てた通りに美しい影が伸びていた。


#2ヒッピーという猫がいた



ヒッピーという猫がいた。

店の軒先でよく晴れた日には毛繕いをして、雨の日には雨宿りをしていた

猫のことだ。

野良なのか、飼い猫なのか判らないけれどいつもふらふらと街を彷徨う

風来坊のような黒猫。

そんな生き様を見て、ヒッピーという名前はぼくが勝手に命名した。

ヒッピーが眠たげな街を、美しい夕闇に包まれた街を見上げるとき

黒猫の後ろ姿に一瞬だけ真理が見えた、ような気がした。

ヒッピーという猫がかつていた。

この街は今日もしずかに暮れていく。

San Francisco Diary #3

街に夕暮れが迫っていた。

柔らかな光がぼうっと窓の外を照らし、しずかに一日が終わろうとしている。
ぼくはチャイニーズレストランの窓際の席で通りを思いおもいに歩いていく人々を眺めながら、青島ビールをちびちびと飲んでいた。少し肌寒くて、どこか物哀しいサンフランシスコの夕暮れ。やがてビール瓶は空になり、じわじわと体に温かな酔いが回っていくのを感じる。

ビールをもう一杯頼むのと同時に海鮮焼きそばが運ばれてきた。
オイスターソースの香ばしい匂いと安心できる食物のぬくもり。
ぼくはビールを待たずに黙々と焼きそばを箸で一気に平らげた。

会計を終えて店を出ると、すでに夜の帳が降りてきていてあたりはすっかり闇に包まれていた。ひとりとぼとぼと歩きながらホテルへ戻る道すがら、ぼくはたったひとりであることをまざまざと認識した。

誰一人知っている人間のいない街で感じる孤独。孤独は時として鋭敏な針金のようにわれわれの心を貫く凶器だ。それはひとの心を揺さぶり、正気である事を疑ってくる。
だがいま、旅をしながら感じている孤独感はむしろ開放感を感じる、とても心地の良い感情でそのやわらかな心のありようがサンフランシスコを歩くことと同義であるような気がしている。

San Francisco Diary #2

“娘がね、ジャパンフリークなのよ。日本が好き過ぎて間も無く日本に移住するの。だからあなたの本屋さんを訪ねさせるわ。本屋さんの名前は何ていうの?”

気持ちの良い午後の昼下がり、ぼくは24thストリートにあるとても居心地のよい古書店でリラックスして店主と話をしている。

歳の頃は60歳近くか、丁寧に手入れされた白髪が美しい女性店主。

たくさん本を抱えてカウンターに辿り着いたぼくを暖かく歓待してくれた彼女の人生。その一瞬を垣間見たような。娘さんへの確かな愛情は穏やかに言葉を選ぶように話す彼女の語り口で十分すぎるくらい伝わってくる。

“おそらく娘さんは東京に住まれるのでは?”

”ええ、そうよ。トーキョー。”

そう言って彼女はにっこりと微笑む。

“残念ながらぼくの本屋は東京から電車で2時間半くらい離れた場所にあって”

“あら、そうなの。なんという街なの?あなたが住んでいるのは?”

”盛岡といいます”

“モリオカ?”

“はい、モリオカ”

彼女が怪訝そうな顔つきでぼくを見つめた。

全くいままで聞いたことのない地名に戸惑っているのか、それっきり娘さんの話は終わってしまった。

本の会計を終えて、大きな袋を抱え店を出ようとした瞬間、彼女がこう言った。

“モリオカには本を愛するひとがいるの?”

ぼくはにっこりと笑って彼女に言った。

”ええ。たくさんね”

“良い午後を”

“あなたもね”

外に出ると強い日差しが通りを照らし、人々は気持ちよさそうにぶらぶらしている。

5月のサンフランシスコの午後は少しだけ暑くなりそうな予感がした。

San Francisco Diary #1

約9時間のフライトを終え、サンフランシスコ国際空港に到着したのは朝の9時半。

寝ぼけ眼でイミグレーションを通過し空港からBARTという電車に乗って市内中心地に向かう。

長い夢の続きのようなしゃんとしない頭を少し整理しようとBARTに揺られ、見慣れない名前の駅を眼で追いながら窓の向うから見える世界を認識する。

ようやくここはアメリカで、ぼくはアメリカに来たのだということを実感してきた。

サンフランシスコの朝。もう街は動き出している。すべての世界の街がそうであるように、気持ちの良い朝をはじめるにはまず一杯のコーヒーを手にいれることだ。

16th St ミッション駅に着くとまずはコーヒーショップを目指して歩き出した。ぼくが歩いているミッション地区は様々な異文化がミルフィーユのように重なり合う猥雑で賑やかなエリア。

そんな場所をリモワのスーツケースをガラガラと引きずりながら歩き回るのは得策とは言えない。

第一にすぐに旅行者だとわかり、何か面倒なことに巻き込まれかねない。

第二にあちこちを歩き回るには荷物がかさばり邪魔になる。

そこでいわゆる日本でいうコインロッカーを探しに駅に戻るが駅員に聞いても意味がわからないという顔をされるし、それらしきものは駅構内には見当たらない。

諦めて駅を出て駅の近隣を探しているとちょうど床屋のシャターを開けようとしているおばさんが目に入った。

褐色の肌。金色に染めた髪。ぼくがにっこり笑って話しかけても無表情のままだ。言葉のアクセントから推測するにおそらくプエルトリコ人だろう。

このおばさんに聞いてみようと意を決して”このあたりにコインロッカーはないか”と尋ねてみると、おばさんは怪訝そうな顔で”そんなものはない”とピシャリ。

“あなたは何をしたいのか”と逆に質問されたから”この荷物をどこかに預けたいのだけれど”と答えると顔の前で手を三度振り、そそくさと店のなかに入ってしまった。

やれやれと思いながら、近隣の店の何人かに尋ねてみるがみな一様にそんなものはないと返されてしまう。

諦めて通りを引き返し、メインストリートに向かってとぼとぼと歩いていると眼前に見覚えのある顔が。

さきほどのプエルトリコ人のおばさんだった。早口で”仕方がないからあなたの荷物、預かってあげるわ”と言ってくれていることを三回聞き直してようやく理解した。

だがこんな見知らぬ土地で突然ひとの温かさに触れ、急に警戒心が芽生えてくる。

“このまま荷物を預けてしまったら帰ってこないのではないか?”ぼくはおばさんの申し出を丁重に断わって通りに向かって歩き出した。振り返るとおばさんが哀しげな目でぼくの後ろ姿を見守っていた。

そういえば作家のリチャード・ブローティガンはサンフランシスコを舞台に市井の人々の間で交わされる”Tenderness”(やさしさ)を一貫して描き続けていたことを思い出す。

プエルトリコ人のおばさんがぼくに与えてくれた”やさしさ”はサンフランシスコの空に浮いたまま、あたりを漂っている。誰かが誰かを思いやる気持ちに損得勘定などないし、とてもありふれた自然なことなのに。ぼくはなんて愚かなのだろう。

そんなことを考えながらゲレロ通りへゆっくりと歩き出した。