#2ヒッピーという猫がいた



ヒッピーという猫がいた。

店の軒先でよく晴れた日には毛繕いをして、雨の日には雨宿りをしていた

猫のことだ。

野良なのか、飼い猫なのか判らないけれどいつもふらふらと街を彷徨う

風来坊のような黒猫。

そんな生き様を見て、ヒッピーという名前はぼくが勝手に命名した。

ヒッピーが眠たげな街を、美しい夕闇に包まれた街を見上げるとき

黒猫の後ろ姿に一瞬だけ真理が見えた、ような気がした。

ヒッピーという猫がかつていた。

この街は今日もしずかに暮れていく。

#1 なんじゃもんじゃの見える席

7月のある日 16時30分

窓際の席、右側。

木漏れ日がノートに映る。夕方、という名前がついてもおかしくない時間なのに、はっきりとした強いコントラスト。明るい部分に書く文字はスポットライトを浴びているようで、日陰にいる文字のほうを応援したくなる。

ガラスの向こうの、池のさらに奥には紫陽花。池一面のハスの葉は太陽に向かって大きく首を伸ばしている。

西日は、二枚重なった紺色のリネンの、ちょうど境目に明るい光。

今日は山の撮影が昼過ぎまであって、そのあとに寄ったんだ。八幡平の風でゆれる小さな白い花の集まりは、震えるように、風を見せてくれて。

「わぁ!」

と、特別なものを見たような気持ちになったのだけれど。

わたしたちの五感のどれかにひっかかるようにして、風や陽の心地よさを知らせてくれる自然は、盛岡の街の中にもちゃんとある。この目の前に、紺色のリネンの向こうに広がる景色の中にいつもあるんだ。

「二階は豆を置いてるけど、景色がいいよ。なんじゃもんじゃの木が、ここよりよくみえるよ」少し低い店主の声、続いて顔なじみらしい二十代くらいの男の子の声、右耳にちいさく響く。

あ、風だ、ちょっと強い。

17時10分。

太陽は二枚目のリネンの、下から三分の一ほどの場所に。

空っぽになったカップには斜め上から陽が差し、カップの内側にぐるりとできた影。じいっとみていると淹れたばかりのコーヒーがまだ手元にあるような気がしてくる。夏が終わり季節が移っても、夕方の飲み終わりのカップはこんな風に満たされてみえるのだろうか。

背骨をゆるく後ろに預ける。山道をたくさん歩いた、今日の私の体。じわっと椅子の芯に向かって沈み込む。

そのまま最後の一口。

会計を終えて、外に出た。店の前に駐めていた自転車の鍵をあけるために腰をおる。豆のカラカラとした香りが、空気に少しだけ溶け込んでいる。

この感じ、どこかで。

ああ、さっき飲んだ最後の一口。

体温と変わらないくらいの夏の温度のなかで、甘く、そして茶色く香る。西日で視界がまろやかに色づいて。そんなところまでよく似ていた。