#8 盛岡市長田町12-11

外からみると学校のようにみえる。

キンコーンカーンコンと始業のベルが聴こえてきそうな、福田パン長田町本店。

ご近所には岩手大学、盛岡一高、岩手医大、岩手中、岩手高校、河北小学校。

休日で学校も休みのはずなのに、学生服を着たこどもたちが多かった。テストかな。

1m近くある白い靴下をいかに可愛くダボダボさせるかに、時間とお金をかけていた高校時代の自分を思い出した。今の高校生は、スカート丈や靴下で自己主張することはないんだな。そのぶんのあの頃特有の甘辛い自意識過剰さはどこへ行くのだろう。 SNS?

「魅せたい」場所はもうスマートフォンの画面の中なのでしょうか。

「パ」の一画目のふにゃりとした線は、フランスパン? 丸いのはドーナツにも見える。「ン」の一画目はバターロール? かしら?

一番人気はあんバター。知ってます知ってます。けれどせっかく本店に来たんだもの、ここでしかできない組み合わせがしたいじゃない…。じーっとお品書きを眺めて、お気に入りの具を頭の中で足したり引いたり。

悩むわたしや観光客の横を「先にいいかしら?」と一声かけてすり抜け、颯爽とレジまで進み「あんバター6つとピーナツバター6つね!」と、バーーンと頼んでいる方をみかけると「ザ 盛岡人」を見ているような気持ちに。

わたしはまだまだ。子どもたちと悩む。

外で体が冷えたので、店内のイートインスペースで食べてから店を出ることにした。

注文を待つ人を眺める。

観光で盛岡にきたのだろうか。福田パンでおながいっぱいになって次が大丈夫か、余計なお世話ってわかっているけれど心配になってくる。

冷麺もわんこそばも、パァクのホットケーキも、じゃじゃ麺も、梅月堂のお菓子も、もちろんあそこのお店の珈琲だって。

盛岡に限らないが、旅をして、その土地の美味しいものを全部食べられるわけではないんだよなあ。

悩んだ末に、クッキークリームを頼んだ娘。

手が小さいので別注サイズに見えてしまう。頬張る顔の写真は迫力満点のため自粛。

今日もLITERSにお越しいただきありがとうございます。

ふかふかのコッペパン、小さい手の記憶にはどんな感触が残るのでしょうね。いつか大きくなった娘に聞いてみたいです。

#7 南大通1丁目12-17

この白い鉄塔、冬はことさらに男前だということに気づいた朝。

きらびやかは、ときどき見たい。

真っ白は毎日、毎日見たい。

雪道を歩いていると、光のかたまりに出会えることがある。

どこからきたのかはわからない。さがしたけれどわからなかった。

満月と三日月がカップに入っていた。とても緊張していた、午後2時半です。

「切手のないおくりもの」のお手紙をつなぐ日でした。

手紙を人から人へとつないでいくということは、私一人ではもちろんできなくて。

おくるひと、おくられるひと、両方の時間をいただく。書く時間だけじゃない、だれにおくろうかな、どんな便箋で、封筒で、どんなことをかこうか。そのまた次につながる人だろうか。いろんなことを考えて考えて、みなさん時間をかけてくれている。

それだけでもない、ただの手紙は「わたしとあなた」の間にあることまるごと書けるが、私がお願いした手紙は、ここLITERSで、二人のことを全く知らない第三者の目に触れるのかもしれない。普通の手紙とも、わけが違うのです。

今日おくった方は、「何年ぶりだろう、書きながらいろいろあの日を思い出しました」と言っていて、今日おくられた方は「このままお葬式のときの弔辞にしちゃおうかな」と笑っていました。

直筆の文字と、手紙を渡す姿、受け取る時の笑顔、そのあとに二人が交わす体温を感じるやりとりを間近でみて、お二人を見送った後。

この場をどうやったら過不足なく、LITERSに来てくれた方に届けることができるのか、考えていました。手から手へわたる手紙とおなじく、あの場にある気持ちの重さと等しい質量で、伝えていきたい。そうしなくては。

誰かの心のやわらかい部分をみせてもらっている、という気持ちを忘れずに、手紙をつなぐということを丁寧にしていきます。

LITERSに今日もきてくれてありがとうございます。

簡単には伝えられないからこそ、きっと伝えたいと思うのですね。

#6 北上川沿い

朝8時すぎ。今日の盛岡。

日差しだけなら暖か。バスがなかなか来なくて、隣に立っていたおばさまと「こないですね」と立ち話。

雪の日は仕方ないわよねえ、なんて話して、一瞬、同士のような気持ちが芽生えたのもつかの間。実は目指す行き先は違ったよう。私が乗るバスが先に到着。

「おさきに」「はい、またねえ」

袖触れ合うも縁、バス共に待つも縁。

昼過ぎ、外に出ると歩道が消えていた。

寒くても、痛くても、自分の足で歩くことは楽しい。

太ももの関節と筋肉がぐんぐんと動く。

縮こまると余計寒いので、少し胸を張って。

イヤホンから流れる音楽を背景に、リュックの中でカタンカタンと音をたてるペンケースをリズムに、寒い日の雪特有のむぎゅむぎゅとした可愛い音をアクセントに。

昨年自転車を買ってから、どこへでも自転車で出かけるようになった。車に比べたら寒いし暑いし、雨だと濡れるし、時間かかるし、不便といえば不便だ。

でも自転車がすきだ。香り始めた季節の花にも気付ける。知り合いとすれ違ったら、自転車を止めてちょっと話ができる。坂道をすいーーっと下る時の、ブレーキをかけようかどうしようか、いや、このまま!すいーーーっといく!!みたいな小さな自分への鼓舞。

ペダルを踏んで、その分進む。

そういう、着実に、自分の力で前に行くことが昨年の私には必要だったのかも。

ふしぎだなあ。岩手で車がなければ生きていけない、と思っていたのに、自転車に乗りはじめて。自転車がなかったら絶対困る、って思っていたのに、今は一人、てくてく歩いている。

「わたしにはこれがなければ」と思うことほど、手放した先には新しい世界が開けるのかもしれない。

1時間ほど歩いたら、髪の毛の根っこまでヒヤーと冷たくなった。

ガードレールにみつけたチューリップと自転車を横目に、カタンカタンむぎゅむぎゅと。

今日もLITERSに来ていただき、ありがとうございます。

盛岡に、また冬が来た。今年は行ったり来たりいそがしいね。今度はどのくらい滞在するのかな。

#5 前九年二丁目5-1

午前中の仕事の後で立ち寄った。
まだ新しい環境に慣れなくて、お腹も空いていたし、寒いせいか肩にぐっと力が入っていた。
お店の中は、私一人。
靴を脱いで、あの一番奥の席で本を読みたい、とも思ったのだけれど。
こないだ、一人壁に向かうこの席でご飯を食べていた女性の雰囲気が、
「まんぞくまんぞく」っていう空気そのもので。
あの席、次ぜったい座りたいって思っていた、「あの席」へ。
いらっしゃいませ、と一緒に置かれた白湯。
弱音なんて吐くつもりなかったのに、
なぜか
「今日ここ来る前の仕事、ちょっとがんばりすぎちゃって」
などと話している自分に驚く。
外は寒かった。
ここは、なんてあったかだ。
ことんと音を立てて、目の前に置かれた皿。
人参、白菜、カブ、かぼちゃ。
んーーあとはわからない。
わからないときはきいてみよう。
「赤い葉っぱはトレビス。ヨーロッパの野菜で苦味が特徴です」
「赤い茎のスイスチャードは、栄養満点だから、疲れが取れますよ」


焼いた野菜、揚げた野菜、生の野菜。
野菜野菜野菜を頬張る。
とんとんとん、まな板で切ってるのはなんだろう。
あ、唐揚げの音。
チチチチ、から、ジューとだんだん強く。
外を車が通るたびに、壁に映る葉が揺れる。
「コーヒーの木ではないんですよ。似てますよね」
うちにあった枯れたコーヒーの木を思い出した。

ジュースに入ってる氷さえ特別に見えるのは、
何か理由があるのか。
わたしのごはんがきた。
わたしのからあげ、わたしのおむすび。わたしのおつけもの。
私のための、わたしのごはん。


外の車に乗ったお二人がこちらをみて話をしている。
「ここにあったんだね」
「へー、いってみたいね」
心の中で、
「どんな言葉を使ったら、今の気持ちがあのお二人に届くのかなあ」
と考えた。
「いや、いっかい食べたらわかるよ」
っていうのが一番だな、という答えにたどり着いた。

#4 盛岡八幡宮へ

遅めのお昼を終えて、盛岡八幡宮まで歩き出した。初詣は外にいる時間が長いし、子どもたちにスキーウェアを着せて行く年も多いけれど、今年はスニーカーだ。

ふたりはスキップをして、走って、それを眺めながら私は歩いて、10分ほど。

バス乗ろうか! と時刻表をみたら、今日は土日祝日扱いで本数が少ない。また歩き出す。風が少し強い。

まだ15時そこそこの時間なのに、北上川の水面には彩度を少し抜いた西日のような光が反射していた。波はほとんど立たず、一枚の水の板。ずっと眺めていたい。けれど寒い。橋の上は寒い。

「ここ!写真撮りたい!」そう妹に言われて指さした方をみた。撮りたいポイントがわからなくて、どこを?と尋ねると「信号!こんなにどこまでも青なんて、うれしいもん」と言われ、カメラを渡す。うん、確かに。初詣に行く道中にぴったり。

寒さに負けてコンビニへ。ピザまんとあったかいお茶を買った。吐く息は真っ白。八幡宮に近づくにつれて、だんだんと人が増えてきた。昨年のお飾りを忘れてきたことに、ここで気づいた。

鳥居をくぐり進む。こどもたちとはぐれるほどではない、でもたくさんの人。ドラクエのレベルアップの効果音を口ずさんでいる人とすれ違った。いい鼻歌、ありがとう。

盛岡八幡宮は石畳の上に、12の干支が彫ってあって、せっかくだから亥を探したかったのだけれど、人ごみで酉と丑しかみつけられず。

お参りの列に並ぶ時間が好きだ。

前後に並んでいる人が、去年はこんなことがあった、とか、あの人が結婚したらしい、とか、帰ったらカレーを食べよう、とかそういう話をするのを聞いていると、夕方、マンションの明かりがポツポツとついていくのを見ている時と同じ気持ちになる。どこの家にも、その家の灯の色がある。我が家にも、もちろん我が家の色が。

“一円玉を浮かべることができると、いいことがある” という水の釜。兄はこういうのが得意なので1度目で成功。苦戦していた妹に「水面ギリギリでそーっと離すんだよ」と、私より少し年上の男性が声をかけてくれた。娘が4度目の挑戦で成功するまで側にいて、「できたーーー!」とガッツポーズしたら、嬉しそうにしていた。

我が家と同じお飾りを持っていたあの人の2019年に、佳いできごとがひとつふえますように。

強い風で、舞う火の粉。手をかざしてあたたまりたいのに、側に行けない。

小さい子向けのおもちゃも屋台にあった。いつごろまでこどもたちに「買って」とねだられただろう。今日二人が私に言った言葉は「わあ、きれいだね」だった。

寒いから、とモコモコに服を着せて、さらに熊耳がついたダウンのアウターにくるんでいた赤ちゃんの頃の初詣を少し、思い出した。抱っこしながらの人ごみと階段は、つまずきそうでそろりそろりと歩いた。私の顎のすぐ下から、乳白色の香り。糸より細い髪の毛がときどき、くすぐったかった。

初詣のあとは、ここで中華そばを食べたくなる。温かいスープを飲んでもすぐにはポカポカにならない。芯まで冷える、ってこういうことなんだろう。一杯を食べ終わる頃にやっと手の先に感覚が戻り、外にでる勇気がでてくる。

北上川を眺めながら帰路。

星と、街の灯がチカチカひかる。真っ黒な夜の川に、青や黄色の光の粒が向こう岸へ橋を。


一年がはじまりました。2018年秋に産声をあげた、このLITERSという場所も少しずつ賑やかさを増してきました。書き手のみなさん、お立ち寄りいただいたみなさん、ありがとうございます。

2019年も、限りなく日常に近い位置から、「盛岡に灯をともす人」に光をあてられる場でありたいと思います。

どうぞよろしくおねがいします。

#3 クラムボンは、かぷかぷと

両手の平で包んだカップをゆっくりと鼻近づける。

口もとから液体を流し込む前に、唇で止め、カップを顔の方にゆっくりと傾け、一息吐き、熱く満ちるその気体を思い切り吸い込む。

鼻の奥から喉元へ、白く茶色いその香りだけが抜けていき、それが一口目の前の一口目。

先にスプーンを入れ、くるくると回して。小さな銀色の器に入った、やわらかな白いミルクをそおっとカップの渦のまんなかへ流し込む。流したまんなかから、ふっくらと広がる白い曲線。

ザクザクとした淡い茶色の、小さなビーズのように光るお砂糖。

それをカップにいれる、砂糖が消える瞬間の儚い音。

無色透明なはずの水には、茶色く香ばしい焙煎の香りがとけだしていて。

ふわり、苦く甘く。

天井、三枚羽がゆるやかに回る、回る。

食器はカチカチと静かに。

お店の奥ではコーヒーを選別する女性の手元からはツッ、ツッ。

向かいのテーブルには丸メガネの女性。背筋をすっと伸ばし、赤い口紅がよく似合う。彼女がめくる、雑誌のハラハラという音もまた美しく重なり。

そして談笑するお客様と店主の、声。重なりが広がり、静かにつづく。

窓際の席。

背中に聞こえた車の音につられ振り返ると、五線譜の電線には白い雲の音符。

かぷかぷとかわいらしく、浮かび漂う。