Twitterの中の140文字から得た情報や、誰かがInstagramにアップしていた写真。「美味しそうだな」「行ってみたい」プラスのイメージを受けることもあるし、画面の向こうの人がこっぴどく書いた感想をみて「うわーないわ」「ここはやめとこ」、と、ジャッジをインストールしてしまったり。
信じる、信じないは別にしても、私たちは本当に多くの「誰かの選択」のそばにいる。
なんだかまどろっこしい書き出しになってしまったけど、今日は初めて「白乾児(パイカル)」という桜山にあるお店に行ったのです。
夕方、美容院で3人で髪を切っていたとき。娘の担当美容師さんのなっちゃんが「そういえばこないだパイカル行ったんですよー」と鏡ごしに話してくれた。
老舗のじゃじゃ麺屋さん「白龍(パイロン)」のすぐ近くにあって、餃子が美味しかったんだよ、って、髪の毛にカラー剤をぬりながら。
パイカル…行ったことない。…近くには行ったことあるのにな、なんでだろう。もしかしたら、誰かのプライベートな感想をインストールしていたのかもしれない。
今日食べに行ってみようかな、と思って、鏡の前に並べられた雑誌をみたら「餃子の本」がでーんと鎮座していて。タイムリーすぎてなっちゃんと笑った。
18時をすぎた盛岡は、上着を着ないで出てきた私には少し肌寒かった。子どもたちはジャージでスキップしていた。岩手公園(やっぱり、こっちの名前がしっくりくる)の桜を右目で愛で、梅月堂の桜餅の話をしながら桜山まで。
なんども通っていたはずなのに、目に入っていなかった不思議。
ガラスの引き戸が暖簾の下に並んでいて、どこから入ろうか少し迷いました。中にはカウンター席が12席ほど。壁のメニューを見ながら、餃子、水餃子、ワンタン麺、じゃじゃ麺を選びオーダー。
順番に食べていたら、同じ年くらいの髪サラサラな女性が一人で入ってきて、60個の持ち帰り用餃子を手に帰っていった。「焼き方は、もう大丈夫?」店主にそう聞かれて「はい、もう慣れました、いつも60個ずつ買ってますから」と照れ笑い。
冷凍の餃子はそのままスープにいれて水餃子にしてもいいし、焼き餃子にも、どちらにもできるらしい。「餃子が完売してるかもしれないから、GW中は電話してから来た方がいいかも」だそうだ。
テーブルの端には若い女の子が二人。帰る頃にはスーツをビシッと来た男性が。
こどもがもうすこし小さい頃、「なぜ、ものは大切にしないといけないの?」ときかれて、んーーー…とちょっと悩みながら「自分に興味がない物でも、それは誰かの大事な物かもしれないから」みたいなことを絞りだして伝えたことがあった。
わたしが初めて来たパイカルも、常連さんにとってはもう馴染みの店で、大切な場所。
今子どもに同じ質問をされたら、「それがいつか自分にとっても、大事な物だって思えるかもしれないから」と付け加えよう。そうしよう。
「餃子、今日持って帰ります?」と聞かれて「ううん、近くだから、またすぐに来ます」とお返事して、帰路へ。
あれもおいしかったね、これもおいしかったね、と店を出た後も美味しい時間は続きます。次は焼きそばを食べてみたいし、バーベキューのときにパイカルの持ち帰り餃子を買っていって、喝采を浴びたい。
今日もLITERS、読んでいただき嬉しいです。ありがとうございます。
仕事の方も、お家で過ごす方も。ゴールデンウィーク、まだまだ入り口。