家と、しごとのスキマ

「スキマについて、思うことを拾っていこうか」

「街と街のスキマとか」

「人と人のスキマとか」

「ぴっちり並んだ本棚にある、1冊分のスキマとか!」

それこそ、「友人と仕事仲間のスキマ」のような二人とそんな話をして、ぽかりと空いた空間や、存在と存在のあいだを眺めては、ほほう・・・とメモする日々がしばらく続きました。ドーナツの穴がなければ、あれはただの丸い揚げたふわふわあまいもの(それもいいけど)。あの穴があるから、ドーナツは「ドーナツ」という名前の、愛らしいおやつになる。そのドーナツの穴に近いような、気づいてしまうと目が離せない存在感を、あちこちでみつけた「スキマ」に感じる今日この頃です。


今日の仕事もそういえば、誰かと誰かのスキマをつなぐようなメッセージのやりとりが大部分だったなあ。messenger、Slack、LINE、電話に、Zoom。通信手段のフルコースを堪能した。なめらかにつながると嬉しくて、今の仕事はとてもしっくりきてる。

仕事を終えて明治橋を渡って、私は家に帰る。家と仕事のスキマには、北上川がながれているんだな、と今日気がついた。家でも仕事をすることもあるし、会社のように定時があるわけでもないから、家と仕事との区別ってあんまりないと思っていたけれど、北上川のスキマと夕焼けは私にとって、結構大事なものなのかもしれない。遠くに見えるマリオスのあたりの光も好きなんだ。田舎生まれなので都会ぽいキラメキには弱いのです。

一つの窓がひとつの灯りにみえて、その窓の先にはたくさんの人がいる。残業している人も怒られている人も、眠たいひとも。それを空想ではなく、いつかみた景色と重ねて想うことができる。大人になってよかった、と思う瞬間ね。

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