24/04/18-24/04/24

4月18日(木)

今日はMTGやらなんやら、朝9時半から22時までずーっとお話→移動→お話→移動。それぞれに面白く、有意義でよい時間。私は仕事がら、「それでそれで?」とか「どう思ってるの?」とか問いかける側になりがちなんだけど、今日話した方たちは「まりちゃんはどう思う?」って、聞いてくれる人ばかりだった。この質問のありがたさを私はよく知ってる。何回も何回も「今年はね、こんなことをやりたい」って拙いながらも話して聞いてもらっているうちに、クッキーのポロポロ生地がしっとりまとまってくるみたいな、前に進んでいる感があった。このあとクッキーだと寝かすんだよね。寝かす、って人と人の物事にも大切なのかな。今日「まりちゃん、2年前に話したときも同じことをやりたいって言ってたよ」と言ってくれた方がいた。私は2年も形にできていないのか・・・ってちょっとしょんぼりしたら、「ちがうちがう、2年分お互いに成長したから実現できるんだよ」って言葉をもらって、今、ああそうか、寝かしたってことなのかな、と思いながらこれを書いている。

夜は走った。口と頭は疲労感があったのに、体はぜんぜんHPが削れていなくて、ちょっと針のずれた天秤みたいな気持ち悪さがあった。足と頭のちぐはぐ感。軽いジョグを1キロして、そのあと1キロ6:15のペースで、3.2キロ。半袖で外に出て、あ、うーーん寒いかも?というくらいの気温だったけど、走ってたらちょうど良くなった。風もなくて、本当に走りやすい夜。月はもう半月。5月のレースは暑そうだな仙台。フォームが崩れないように、速くなりすぎないように、自分の思ったスピードで走れるように。「走る」っていうとどんどんスピードを上げていくことが大事そうにおもっていたけど、スピードをコントロールすることのほうがずっと大切ぽい。(まだわからないけど)体力がある前半でわわーーってスピードを上げてしまわないよう、走れるけど抑える、みたいな時間が最後まで気持ちよく走るにはポイントになりそう。なりそう、とかぽい、とか語尾が曖昧なのはまだまだほんとにわからないから。でも走り終わると気持ちいいのは「わかる」。あと走ったぶん、さらに走れるようになっていくことも、「わかる」。あの食べ物がいいらしいとか、こんな練習方法があるらしいとか、おしゃべりしながらレースに向かっていきながら、「わかる」、と「まだわからない」、をいったりきたりしている。


4月19日(金)

今日は1日自宅で作業。紙に書き出したタスク、急ぎのにいくつか丸をして、順番に手をつけ、終えたら□を黒く塗りつぶす。すきまの時間で図書館から借りてきた伊坂幸太郎の本を読んだ。図書館には水曜に行ったんだけど、桜が散り始めていて、それを窓際の席から眺めた。こっそりとiphoneで写真を撮ろうと思ったら、思いの外大きい音がでてしまって、あわあわした。あと、静かすぎて、お腹がなってしまわないだろうかと気になり始めたらどんどんお腹が鳴りそう!という気持ちになってしまい、後半はお腹をよしよしとさすりながらの読書。パソコンも使える席、でも使えるとしても本を選びたくなる場所。ちゃんと図書館。おばあちゃんになってもここからの景色が変わらずにあって、変わらずにおなかさすさすしながら読書できたらいいなあと思った。私は数年だけど図書館でお仕事をさせてもらっていた期間があって、それもあって、図書館をひいきしている。強い人、弱い人。どんな人にも開かれている。私は図書館が好きだよ。

むすことちょっと喧嘩。書いたり、話したりを仕事にしているのに、コミュニケーションがあーだこうだと大学生に授業したりするのに、私は昔から本当に本当に喧嘩がへたっぴだ。…はあ。仲直り、というのもへたっぴ。…はあ。気持ちにぴったりの言葉を探したい、と思ってちょっと黙ると、1人で頭の中で質問と答えを繰り返してしまう。そのあいだずっと無言。無言の時間が長くなればなるほど、話し出すきっかけがつかめない。顔は険しい。…へたっぴだー。それでちょっと時間が経つと「せっかくいっしょにいた時間だったのに、なんで黙ってむすっと、しちゃったんだろ」って自己嫌悪になる。

こないだ、イベントの中で大学生から質問してもらってそれにお答えする時間があって「自分は決断力がなくて、優柔不断。どうやったらパッと決められるようになりますか?」という質問をしてくれた男の子がいた。いろいろ精いっぱい思うことを話した最後に「もし、猫だったらさ、」という答えをかえした。もしそういう猫がいたらかわいいなあって思わない?カリカリの餌食べようか、お水を先に飲もうか、ってうろうろ迷ってる猫。二つのボールをつつきながら、どっちで遊ぼうか決めきれない猫。たぶん「わーーまた迷ってる、まじかわいいいい」ってデレデレ見ちゃわない?それとおんなじなんだと思うんだよね。そんなふうにかわいいーって言われながら、そのままの自分でいられる場所はある、はずだし。変わりたい!と思った気持ちも尊重するけど、あんまり気張りすぎず、自分のこともときどきは、そんなふうにかわいい猫をみるときみたいに見てあげてもいいんじゃないかな。

この「どんな猫もかわいい理論」だと、喧嘩と仲直りがへたっぴ猫も、まあまあいいんじゃない?と思えてきたので気持ちよく眠れそう(笑)伊坂さんの本は読み終えてしまったから今日はなにを読もうかな。うしろめたさの人類学にしようかな(やっぱりうしろめたいんじゃん)

4/20(土)

わたしはとても嫉妬深いので、嫉妬という感情の扱いについてよく考える。最近いい作戦だな、と思ったのは「人はサイコロ作戦」。もやっと嫉妬のような気持ちが湧いたら、私は「1」の面を主としてこの人を知っているけど、「2・3・4・5・6」の面が他にもあるんだぞ、と立方体を思い浮かべる。「1」が上にきているとき、裏面は「6」だけど、「1」の私にはみることもできない。でも、「1・2・3・4・5・6」全部でこの人のサイコロなんだぞ、と頭の中でサイコロを転がす。全部の面がみえることはなくて、ころころ転がっていくところを思い浮かべると、ああ、なんかかわいいな、ともやもやした気持ちが落ち着くのだ。

もうすぐはじまる新しい場所のはなしをじっくりとした日。フリーランスで仕事をしてきて、ここ数年はとくに、自分がこれからどう働いていくのかを考えている。子育ても時間よりお金がかかるフェーズに突入。こわがらず、いい場所を作っていきたいな。

4/21(日)

ひとつお仕事が終わった、ということでチームで打ち上げ。3月4月の忙しさにへとへとになった友人の「パフェが食べたい」という声を尊重し、ベルでパフェを食べよう、という話になっていた。その友人はじゃじゃ麺からエナジーをもらうタイプの人間なので、じゃあそんなに疲れているならじゃじゃ麺もたべちゃおうよ!というわけで、朝10時に川徳地下のパイロンへ。7階催事がむちゃくちゃに賑わっていた。地下は静か。開店直後なのに、カウンター席は埋まっていて、奥の4人席に3人で座る。小2つと中1つ。他のお店に比べてパイロンはボリュームがあるので、気をつけて注文した。野菜と生姜を増量して!という意味で「ぜんぶ多めで」と店員さんに声をかけたら、「紅生姜も多めでいいですか?」と返される。え、そんなことしてくれるの?え?え?なんて前向きな提案なの?セルフでお冷を入れる機械の塩梅が難しいらしく、表面張力の実験みたいなお冷が目の前に並ぶ。10分ほどでじゃじゃ麺がきた。こんもりと野菜が乗っていて、黄色い生姜も2山。こんもりこんもり。紅生姜も2枚。「これでちーたんの前にも紅生姜が食べられるね」と3人で喜ぶ。朝10時だというのに、にんにくを入れて、目の前の友人は「至福・・・!」という顔で食べるものだから、こちらは2倍美味しかった。食べさせがいのある人にはどんどんおいしいものをあげたくなっちゃうね。丁寧に作りました、という気配を漂わせたどことなく気品漂うちーたんを飲み干して締め。たまごふわふわだったー。そのあとベルに行こうと思ったら、観光の方が多く入店待ち。「わたしたちは別に今日ベルじゃなくてもいいよね」と地元民らしい思考回路でスタバへ。メロンのマラサダ?揚げパンみたいなやつ、美味しかった・・・!仕事のこと、ちょっとプライベートのことなどゆるゆると話す。話している間に知り合いが2人入店。春に疲れた、と言ってた友人の話を聞いてあげよう、なんて言ってたはずなのに、ちゃっかりわたしの今後の仕事についての相談などしてしまった。気になるところ、気にしないところというのは本当に人それぞれで面白い。わたしが気にして気にして選択肢から外していたことを「そんなの平気」と言われながら、雑談の素晴らしさを噛み締めました。前に、井上ひさしの本を読んだ時に「もしもこの世に神様がおいでになるとしたら、その神様とは、実にほんとうのおともだちのことを言うのではないか」という言葉がでてきて、いいなあ、とおもったのだけど、昨日はまさにそんな日。ランニングは4.6キロ。ソメイヨシノのあとの違う品種の桜を走りながら鑑賞。猫が好きそうな道を走って、大きな通りにでて人間に戻った。

4月22日(月)

朝ごはん、目玉焼きが上手に焼けていい日になりそうな気がした。ZOOMOで打ち合わせ。下見も兼ねて歩いた動物園、穴熊の追いかけっこがかわいかった、これからも元気ない時はときどき見返そう。小さいことだけど、こういう同じものをみた、とか聞いた、という経験値は、たまってたまって「ねえねえ。あのときさ、ーーだったよね」という秘密めいたひとことで、ふふっと笑えたりするから。そういうのがたまっていくこと、お互いに貯めていきたいと思える人が近くにいることはとっても幸せよなあと思ったり。「僕はゼロからイチを作る人ではない、イチからヒャクの人」という言葉、クールでよかった。

イメージしすぎちゃう、というのは時に不健康だな、と思った。昔からちゃちい怪談話が苦手で、それは今も変わらないのだけれど、なぜか?といえば脳内でめちゃくちゃ鮮明に怖いこれからのことを想像しすぎるからだとおもう。子どものころはリアルに想像しすぎて、本当のことと、想像のことの境目が曖昧になってしまうこともときどきあった。聞いてみないとわかんないよね、私の頭の中の出来事は、とにかく頭の中でしか起きていないことなのだから。

4月23日(火)

おともだちと待ち合わせて写真を撮る日にしよう、と話していた日。桜山神社で9時半に待ち合わせ。と思っていたのにメールを見返したら「では23日9時に」と書いてあるえ?!と思いながら勢いよく謝る気持ち満々で連絡したら「わたしも9時半だと思っていました笑」ってお返事が返ってきた。車の中で、ひとりで、なんだかとってもおかしくて、こんな偶然が嬉しくて、声をだして笑った。鳩ミクジーを引けば中吉で文言も全部おんなじおみくじ。ひいたおみくじをきゅっと結ぶ電線のような場所かわいかったよ。四葉を探して、見つからなくて、でも楽しかった。久しぶりだったなあ四葉探し。昔は四葉探し名人を自負していたのだけど、近頃は負けっぱなし。「ある、ある、ぜったいある」って思ってると見つかるし、ない?ここにはないんじゃ?と思っていると見つからないのは人生の中の幸せと一緒だぜ。パァクにもひさしぶりに行って、形になるかわからないけど最近こんなこと考えてるんだよねーというような雑談タイム。近しい友達でもなく、仕事仲間でもなく、だからこそお互いにどんなボールも面白がれる、とってもありがたい。年齢が約20違うんだけど、そんなの飛び越えてほんとうにいい時間だったな、パァクのメニューはいつも並ぶとキラキラするけど、今日は本当にテーブルいっぱいにご馳走!って感じの気持ちだった。いいんだよ、実現できなかったとしてもいいし、それを責めたりしない。だから真ん中に置いてみて。で、観察してさ、そっとまたもどそうよ。またあおうね。

2人が先週くらいからずっと食べたいと言っていたミスドを買って帰宅。帰りの車はぎゅうぎゅうにミスドの香りが詰まっていて、信号待ちになると2人のちょっとオーバーに喜ぶ、サンバみたいな声が浮かぶ。早く帰りたいなって思いながらにまにまして信号待ちしている自分に、また笑ってしまう。玄関入って、袋を見せたら、期待以上のサンバぶりだった。踊ってた。

むすめと夜ラン。「さくらんぼ、英語でいうとチェリーなの、いけてるよね」って話しながら走って、こういうはなし、もっともっともしたいなと思いながらとっとことっとこ。

4月24日(水)

お昼は紺屋町のドゥエマーニで待ち合わせ。友人の髪が短くなっていて、それがとても似合っていた。わたしも次の次くらいにはパーマをかけてみじかくするんだ、という気持ち再燃。こないだ話した女性の方は、「出産を機に長い髪を切ったけれど、わたしはやっぱり長い髪がすきなの、洗っても時間がかかるし、手間もかかる、でも長い髪をトリートメントでつやつやにして、こうやって巻いていることが私にとってすごく大事」と話していた。

わたしは営業職だったころ、美容院で「きちんとした人に見えるようにお願いします」とか「賢そうな雰囲気醸し出したいです」とか無理難題を言っていた。今もずっと同じ美容師さんが髪を切ってくれているんだけど、こうしたい、と髪型を伝えて相談するようになったのはここ数年だ。だれかの印象を左右するパーツの一つが髪型、と思っていた昔の私。今は、やってみたいことを試すパーツという気持ち。金髪だってしてみたいし、くるんくるんのパーマも、前髪ぱっつんのおかっぱも試してみたい。好きな髪型をしていいんだぞ、好きな服を着ていいんだぞ。似合うな、って思えたらもちろんいいし、あちゃー!な時だってそれはそれでいいんだ。

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