#12 盛岡市紺屋町4-33

0歳の男の子がいるデザイナーさんと打ち合わせで、自宅にお邪魔した。

保育園で37.6度の熱が出たので連れて帰ってきたら、平熱に戻ったのだそうだ。

男の子は椅子に座り、久しぶりに会う私をじーっとみる。まんまるの目で、まばたきもせず。「まりちゃんに穴あいちゃうから、そんなに見ないのよ笑」と母である彼女が言っても、変わらずにじーーっと。

お昼ごはん、彼女は二人分のお昼、と言ってチャーハンを作ってくれた。

男の子は眠かったみたいで、チャーハンを作る背中におんぶされ、泣いたり、うにゃうにゃしゃべったりしながら眠った。

すぐ降ろすと起きてしまうから、チャーハンを彼女はカウンターで立って食べはじめた。

半分ほど食べて、「そろそろいいかな」というかんじで、そーっと降ろす。

成功。無事着地。

座って少し冷めているだろうチャーハンをまた食べ始める。打ち合わせの続きをしながらもぐもぐと。

少し話をしていると、鼻水で苦しいのか「ふにゃ」と泣いて、男の子が起きた。

お腹すいたかなーと、男の子用のご飯をあげる彼女。一口ずつ。小さい小さいスプーンに取って口に運ぶ。にっこりする男の子。それを見てニッコリする彼女。

お腹が落ち着いた男の子を床で遊ばせながら、豆を挽いてカフェラテを淹れてくれた。

お土産に買っていった雪苺娘を二人で食べながら、濃いラテを飲んだ。

過度に美しくもなく、幸せばかりでもなく、苦痛ばかりでもない。

子どもがいなかった時に考えていた「こどもがいる暮らし」とも思うほど近くもないが、そんなに遠くもない。

「働くお母さん、がんばっている」とか「こどもを育てるのは尊いことだ」とか、そういう強い断定のほうが、耳には確かなことにきこえるけれど。

子育てに限らず、生活ってもっとマーブルで、グレーで、グラデーションのあるものだよね。

と、うにゃうにゃと遊ぶ0歳の声を聞き、「濃くなっちゃった」というラテを飲みながら思ったのでした。

きょうもLITERS、訪れていただきありがとうございます。

自分と違う色を認めたら、あれ?自分の輪郭がはっきりみえるぞ?ってこと、ありますね。

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