一度手を離してしまう勇気をもつ、というのは愛でも恋でも、仕事でも、家族でもオールマイティに有効な手段の一つなのかもしれない。
「一日にできることって、そんなに多くないよね」全方位に過密スケジュールにみえる友人が、言って「ほんとですよね」と返したときの会話。河原に寝そべったわたしの目の前に、まーるく広がる青空に吹き出しつきで浮かんだ。
朝7時から夜24時までが時間軸で一目でわかる、バーチカルタイプの手帳を使っているのだが、空欄があると「あ、ここ予定入れられる」と、人と会う予定や仕事の予定を書き込む。
なんだか時間的な忙しさよりも、気持ちのほうがぎゅーぎゅーになる。
誰かと会って、何かをぐいっと前に進めるような時間と、同じくらいの重要度で、なんにも前に進ませない、立ち止まる時間を手帳に書き込んでおくのってどうだろうな。
河原に寝そべる、空を眺める、塗り絵をする、お風呂にふやけるまで浸かる、絵本を読む、目的なく歩く…。
ここまで書いていて思ったのだけど、仕事やプライベートでぐんぐん前進していく時間と、立ち止まる時間の隙間には「ゆっくり歩く時間」というのがあるね。
すぐに読まなくてもいいけどいつか読みたいと思ってた本を読む、掃除をする、美味しいものを食べる、とか、映画を観る、とか。
「ゆっくり歩く時間」で気分が変わって、よーし!歩くぞとまた進めるときもあるけど、ヘトヘトのときって一度ピタッと思い切って立ち止まった方がいいのかも。まったく今にプラスにならないような、意味もないような、スナフキンみたいな時間の使い方をときどきしながら。
よく、寝っ転がって漫画を読んでいる子どもたちに、「宿題やったー?漫画はやること全部やってからだよ!」とプリプリ声をかけたりする。でも、子どもなりに一旦立ち止まって、自分のペースでまたスタートの合図を自分に出そうと思っているのかもしれないですね。漫画を読んだり、youtubeをみたり。一見、無駄に見えることに時間を使って。
いろいろ手に持ってたものを一度手放して、思い切って立ち止まる。空いた手のひらが何を掴みたかったのか、もう一度考える。そんな真っ白な余白みたいな時間をときどき持ちたいです。
今日は七夕。
大それたこと、中それたこと、小それたこと、大中小それぞれ願ってみようと思います。