「あえて言語化しないことで生まれる自由さ、ってあるとおもうんですよね」

大学の前期の授業でちょっとだけ講師をするので、今日は大学の先生とその打ち合わせでした。1対1で話をすること、聴くこと、について、朝10時の機屋で盛岡ブレンドを飲みながらじっくりと。

その中で、私が、「言語化をサボらずにするって大切だと思う」という話をした時の先生の返事。

「でも、言語化しないからこその自由さ、というのもあると思うんです。全部きちんと説明しなきゃ、じゃなくて、ふわっと置いてくるような。子どもがゲームしたいけど宿題終わってない、っていうときに、『宿題やってからゲームしなさい』じゃなくて、『どんなふうに時間を使ってもいいけど9時半には眠るんだよ』というような自由さがあると、じゃあ時間をどう使ったらいいんだ?と考えることができるじゃないですか。」

先生が例に挙げた出来事が、そのまんま起きた先日の我が家・・・。Aして、Bして、ゲームしたら?って私が言ったのですが、「自分で考えてできるのに、っておもって嫌だった」そうで。もっと信じて任せればよかったなあと反省したのです。己の未熟さよ・・・。

先生のように、わたしはこう思う、と話した時に、「なるほど。自分はこう思う」、という話ができる人が身近に何人かいて、いつも建設的で有意義で、素敵な対話の時間をくれるな、って思って感謝しています。

授業の準備がんばろう。

写真は数日前の高松の池。遠くに見えるボートがゆっくりとこちらへ近づいてくるのと、落ちてくる桜の花びらのスピードが同じくらいでした。

一緒に撮影に行った友人は、頭に桜の花びらをつけて帰ってきたらしい。春ですね。
今夜は強い雨が降っている盛岡、桜の季節、思ったよりも早く過ぎそうです。

葉桜は、夜に見ると少なくなった花びらが星のようで、じっとみてるとそれが、すっと落ちてくるから流星群みたいです。

今日は仕事が立て込んでいて、家でもパソコンをぱちぱちしていました。眠る前のむすめが私に杏仁豆腐を持ってきてくれて「もっと頑張れって意味じゃないぞ、休息だいじ・・・」と言って静かに去っていったの、なんか目の奥がじーんとなりました。

URLをコピーする
URLをコピーしました!
目次
閉じる