#45 盛岡市内

リュックがたわみそうな冊数の「盛岡という星で」のビジュアルブックを背負って、ご協力いただいたお店のみなさんにお届けした週末。プロジェクトのディレクションをつとめるhomesickdesignの清水さんとご一緒に。ちりんちりん。

お天気は快晴の予報だったので自転車で集合したのですが、うっすらと雲が。

コーヒーと、チーズケーキと、笑い声と、そして寂しさやひとりぼっちな気持ちとも。いろいろな場面にこの一冊がこれから出会っていけたら。

材木町、開運橋、そして菜園へ。ちょっと疲れがでてきたところで、嬉しいコーヒー休憩をいただき、充電。

菜園のあとは、桜山へ。ちりんちりんー

パァクのカウンターで、赤いカーディガンがとっても似合うすてきな女性にお会いしました。お孫さんと娘さんがアメリカにいるのだそうで。「アメリカに、この本送るわ」と。インドのものなの、というお財布の上に無造作に置かれたParkのマッチと、懐かしいかおりのタバコの煙。

お店からでて観光ガイド片手に白龍から出てきたご夫婦と立ち話。「じゃじゃ麺を食べたくて、盛岡に何度もきている」というお二人。(一泊、って言ってたけどどんな滞在になったかな、良い時間をすごせたかしら。)

大阪のお二人を見送ってパァクの前を通ると「!」さっきお渡ししたポスターがもう貼ってありました。ありがとうございます。

たくさんの方に届いて欲しい、とも思わなくはないのですが、それよりも「今これを手にしてよかった」と、じんわり感じてくれるような人の手にちゃんと届いたらいい。

強くなくていいし、濃くなくていいし、いそがなくていい。

いつも変わらずその場にあるように見える惑星が静かに動くように。

少しずつ、淡く、ゆっくりと、続くプロジェクトにしていきたいですね。


今日もLITERSでお会いできて嬉しいです。

四月も半ば。わたしたちもゆっくりゆきましょう。

#44 紫波町日詰中新田227-1

「自分の少し前を歩いている、けいこちゃんがいてくれることが心強い」

「出会ってから、年齢を重ねることが楽しみになった」

昨日は「切手のないおくりもの」、次のお手紙をお預かりしてきました。

同じ時期に苦しさ、しんどさを共有して励ましあえる人と、5年先10年先を颯爽と歩いていく人。

育児でも仕事でも、そんな人と手をとり、背中を目指して歩いていけたら、私たちはもう少し「今」を楽しむことに集中できるのかもしれません。

お手紙、写真の編集がもうすぐおわります。あの時間を思い出しながらパソコンに向かっています、もう少しお待ちくださいね。


別でしっかり書こうと思っていますが、4/3(FRI)、紺屋町のDue Maniさんでひらかれている、「コップワインの会」お手伝いをさせていただきました。

「お店で提供したい料理と、お酒って本来しっくりくるはずなんだけどね。同じ個から生まれるものだから。見栄や流行がどちらかに混ざってしまうと、ちぐはぐになるのかもしれないね」

Due Maniでお客様に出しているワインについてお話していたときに、店主の小澤さんがふわりと話した言葉。

お店に入った瞬間の違和感。メニューをみた瞬間の違和感。接客から感じる違和感。また来たいな、また食べたいな、と思う店はその違和感が小さい。そして、違和感が小さいというのはどういうことなのかなーと、深掘りすると、先ほどの小澤さんの言葉「見栄や流行が混ざっていない」に繋がるのかな。

商品、料理、空間によこたわる雑味のない個の色。その柔らかで揺るがない芯の気配に、わたしたちは惹かれるのでしょうね。


今日もLITERSでお会いできてうれしいです。

「寝る前に読んでいます」とお話ししてくれた方がいて、今日みたいに遅い時間の更新になると、あの子はもう寝ているだろうな、明日の夜届くのかなあと思ったりしています。

#43 駅前通1-44

エイプリルフールでもあったはずの四月一日なのに、「令和」の影で、嘘をついてみる気持ちにならないまま終わってしまった。

「れいわ」とパソコンで入力すると「0話」「レイ輪」…当たり前だが「令和」の気配なんて全くない。わたしたちは「令和」を知った。でもわたしのMacはまだ「令和」を知らないんだ。


2007年6月29日に発売された、iphoneだってそうだ。今、私の手の上に当たり前に毎日乗っかっているけど、この日の前にはなかった。iphoneのない世界に暮らしていたんだよな。

ちょうどiphone発売のころにApple storeに勤めていて、前日からお店の前に並んで開店を待っていた熱いAppleファンのみなさんを、ハイタッチでお店に出迎えた。店頭のデモ機の前にも順番待ちの列ができた。

指を滑らせるとページが切り替わる!ボタンが正面に一つしかない!指で拡大も縮小もできる!Googleマップも自由自在!

iphoneとお客さんががっしりと「はじめまして」する姿に、感動した。

一方で少し時間がたつと、ニュースでみたから来た、という「Apple? Mac?よくわかんない。でも面白そうだから」な人たちもお店に立ち寄ってくれた。

おサイフケータイは使えないの? ユーチューブ?なにそれ? ストラップがつけられないのはいやだなー。ワンセグもみられないんだー

店頭でお話ししていると、半分くらいはネガティブな意見だったとおもう。

それが10年ちょっとの時間を経て、こんなふうになっているんだから!

4月から新しいことをはじめた人。新しい場所にたった人。

世界は良くも悪くも変わります。あんなに馴染みそうもなかったiphoneが、一人一人の当たり前になったみたいに。

「令和」だって、言い慣れて、呼び慣れて、使い慣れてくるように。

今「わードキドキ」「わーきつーい」って思ってやっていることも、きっと「あたりまえ」になる日が来ます。

自分で自分をかっこいい!と思える姿を、頭の中に描いて、声に出して、手足を動かして、少しずつ「あたりまえ」にしていきたいですね。

LITERSにお立ち寄りいただいて嬉しいです。ありがとうございます。

4月は、ぐっと背伸びしたくなる季節。気づいたら本当に背が伸びていたりして。

#42 菜園1丁目5-25

電子ピアノを家に買った。

保育園で子どもに弾く歌を練習したかったのと、小学生の二人も気が向いたら弾くかな?と思って。届いたのが今月の22日なので約一週間がたちました。今のところ、かえるのうたと、メリーさんのひつじと、んー、チューリップ。キラキラぼし…あとは…ちょうちょちょが弾けるようになりました。せんせいとおともだちと、こいのぼりは練習中。

右手でメロディーをドレミで思い出して、和音を左手でジャーン!ってやって合わせています。パッと出てくるコードが3つくらいしかないので、ぴたっと合わない音がときどきあって、弾きながらムズムズと気持ちが悪い。

そして弾きながら歌うと、どちらかが雑になってしまう。歌詞か指かどちらかを間違う…。先輩の先生は子どもの反応を見ながら弾いていてかっこいいんだよなあー。

「ピアノ、じょうずになるといいね」と、我が家の子どもたちに言われて、「じょうずになる」ってどういうことなのかなと考えていました。

級や資格のように、わかりやすいステップアップの道がみえないもの。そう、私の手の届く範囲で考えるなら、ピアノももちろんそうだし、言葉の扱い方、写真だってそうだ、じょうずになりたい。

「じょうずになる」って、モノサシのメモリを細かく増やしていくことなんじゃないか、とおもう、2019年3月現在(時間がたったらきっと変わる)。

なにかを始めた時点で、のっぺらぼうな木の板が「ほいっ」と手渡されて。毎日練習して、誰かから教わって、本を読んで、また学んだことを試して。そんなふうに目盛を作っていく。

最初は大雑把な目盛しかない。30センチのモノサシなのに10センチ間隔で3つ!みたいな。

それでもその目盛がぴたっと合うことが時々起こって、それを私たちは「ビギナーズラック」と呼んだりするんじゃないだろうか。

その目盛が細かくどんどん増えたら、「この長さでお願い」って声に「任せとけ!」って返せる。強弱をつけたり、色合いを変えたり、伝わり方まで塩梅を調整できるようになる。

「じょうずになる」ってそういうことかなあ。


たくさん持っていることがいいことかっていうとそうでもないですよね。

こまかーく目盛が入った、一本を持った人にしか合わせられない世界というのは存在するだろうし。

なにが、いい、とか、悪い、とかではなくて。

自分がどのくらいの目盛のモノサシを何種類持っているのか、を、把握するのは大事なことだなと思っています。

適材適所。

わたしやあなたが「こんなの使えない」と思っている定規にしかぴったりと合わせられないものも、世の中にあるのかもしれない。

誰かが「これを探していたんだよ」と喜ぶものが自分の手の中にあるのかもしれない。

逆だってきっとある。

そんな風に思ったら、誰かと出会って、話して、深く知ることは、もっと楽しみなことに変わる。

出会いの春、わくわくと進みましょ。

写真は髪を切られながら、餃子レシピ特集を熟読する息子。彼には彼なりのモノサシが心の中にあるのです、おそらく。


今日もLITERS、読んでいただいて嬉しいです。ありがとうございます。

始めたことが続かなくても悔いない。たくさんのモノサシ抱えているのだって素敵。

#41 交差点(中ノ橋)

”大切なものは目には見えないんだよ”という、「星の王子さま」に出てくる言葉。

最近なるほどなあと、改めてしっくりきている。

星の王子さまが私の本棚に並んだのは15年前。幼児教育を大学で勉強していたころ、大通りのさわや書店のお隣にあったMOMOで買ったんだ。たしか、不思議の国のアリスの大掛かりな仕掛け絵本と、フレデリックと一緒に、スタバのお給料日に。

ながいこと、俗に言う「潜在保育士」だったが、昨年から午前中は保育士をして、午後はそのほかのお仕事をしている。

子どもたちと過ごす、お昼寝までの時間。給食をみんなで食べて、歯磨きをしてパジャマに着替えて、絵本を読んで「おやすみなさい、いいゆめみてね」と、お布団へ。子どもたちの間に入ってトントン、トントンと、右、左、右、左。頭を撫でたり、背中をさすったり、「ゆりかご」の歌を静かに歌っているうちに、子どもたちは一人、また一人と夢の中へ。

ニュースで取り上げられたりもしているので、知っている方も多いかもしれないが、保育園では、お昼寝中も数分おきに眠っている子どもたちをチェックしている。SIDS(シッズ)乳幼児突然死症候群を予防するためだ。寝息や態勢、顔色、胸の上下、カーテンを閉めた薄暗い部屋でじーっと目をこらす。

働き始めてすぐの頃、「寝息を聞こう」と思って近くに寄っても、なかなか、聞こえなくて。聞こえないというか、私の耳まで届かない。手を子どもの口元にかざして、あたたかい息が手にかかるのが分かって、やっと耳に寝息が音として入ってくる。

でも最近はそばにいくと、その子の寝息がわかる。

寝息をたてている子どもたちはずっとかわらないはずなのに、前はなぜ聞こえなかったんだろう。なぜ今は耳に届くんだろう。

そんなとき、星の王子さまのあの言葉を思い出していたのでした。


あるのに、見えないもの、聞こえないもの。

風の音、冬の名残、春の気配。

誰かの優しさ、悲しさ。

自分の強さ、弱さ、狭さ、広さ。

「感じたい」と思いながら、何度も繰り返し触れる。わからなくても、なんども。

こちらを先にひらく。余白、余裕を持つ。

そうしているうちに、わかるのかな。そうだといいな。


日付変わって昨日 3/27は、菜園にあるHolzさんの15周年。

星の王子さまを買って、スタバで緑のエプロンしていたころがまさに15年前。かっこよすぎて、あのころのわたしには入れなかったお店でした。

今こうして、おめでとうと言えることが嬉しいです。


今日もLITERSに、来ていただいてありがとうございます。

記念日、とか、誕生日とか、いいことあった、とか。いいですよね。たくさん「おめでとう」をしたいです。

#40 盛岡駅前通15-5

高校生のころは制服を着て、部活の帰りにみんなでワイワイと立ち寄ったアンノン。

この日は、子どもたちと一緒に。

甘いのも、しょっぱいのも美味しそうで、メニューをみながら悩む悩む。

わたしはサラダクレープ、息子(兄)はチョコバナナ、娘(妹)は黒みつきなこにきーめた。

働いてるお姉さんの制服が可愛いのは昔から変わらないね。

まーるく生地を伸ばして、もくもくと湯気。そしてあまい香り。

妹にはちょっと大きかったみたい。三分の一くらいのところで「おなかいっぱいー」と、バトンタッチ。白玉はちゃっかり全部食べてた…わたしも食べたかったのになー。

しっかり甘い生クリーム。最後の先っぽのところ、もちもちした生地にクリームがしみるんだ。ラスト一口が最高に幸せ。

この景色。

昔、友達と見ていたこの景色。

今は子どもたちと一緒に、クレープのあとの予定を相談しながら眺めている。


最近こういうのが増えたな、10年以上前に見ていた景色を、子どもたちともう一度見る、みたいなシチュエーション。

わたしにとって盛岡は、そんなに帰って来たくなかった街で。

離婚をきっかけに、一旦は戻ってきたけれど「生活が落ち着いたら、住みたい場所を探そう」それぐらい、仮住まいの場所というか。こんなに長くいる予定じゃなかったのに、すっかり盛岡の人、みたいになってるのが自分でもときどき不思議です。

「盛岡という星で」のプロジェクトに関わらせてもらううちに、盛岡について誰かと話すことが増えて、改めて、「わたしはなぜ他の街ではなく、ここにいたいと思うのかな?」みたいなことを考えています。

あの県でもあの市でも、楽しく暮らしていたんだから、今、引っ越しても多分楽しく暮らせる。でもここで日々を送ることを選んでいるのは、私。

なぜ?ここ?

その理由を手探りでさわさわと探しながらLITERSも更新しています。

今日もいらしていただいてありがとうございます。

4月からはまた少し違った角度から盛岡を見ていくような企画を考え中です。どうぞ、ときどき、のぞきにきてください。

冷やかし歓迎。甘やかし大歓迎。